マイレージライフ

ANA/JALでのマイレージ生活とSPG・Hyatt・Hiltonのホテル生活の毎日を綴ります。

ザビエル記念聖堂【山口その4】

山口の亀山にあるザビエル記念聖堂は、山口のシンボルでもある。
ちょうど、山口駅で降り立つとその正面に小高い山があり、そこにクラシック調の尖塔が立つザビエルの塔があった。
きれいなステンドガラスと15分おきに聞こえる鐘の音を思い出します。

この記念聖堂は、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・サビエルが山口を訪れてから400年を記念して昭和27年に建てられたものだ。
そして平成3年9月5日に焼失してしまった。
このニュースに触れたとき、思わず涙が出たことを思い出す。
ふるさとを遠くに離れていたが、それでもここは、僕にとっては、いや山口に住んだことのある人には故郷に違いないと思っている。

現在の記念聖堂は7年の時を経て平成10年4月29日に再建された。
残念ながら以前のものとは大きく異なり、新しくモダンなものになってしまった。
この聖堂は宗教に関係なく市民に親しまれていたので、焼失直後から寄付が始まりました。
このようなモダンな姿に変わるとはきっと誰もが想像もしなかったでしょう。
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そうそう、昔の古い教会の写真もアップしておきます。
西の京、山口にふさわしい素敵な姿でした。
こんな荘厳な雰囲気の教会が、モダンになろうとはね、誰も想像していなかったと思います。
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思い出は、教会だけではない。
併設されている公園も思い出深い場所である。
そう、僕はこの街で恋を覚えた。

4回シリーズでお届けした山口シリーズは、いったんこれにて終了の予定です。

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今も残る下宿【山口その3】

僕が山口で過ごした9年間のうち6年ほどは下宿生活をしていた。
何度か引越ししてきたが、3つの下宿で過ごした。
高校3年・大学1年の2年間住んだ下宿。
大学2・3・4年の3年間住んだアパート。
留年していた5回生4年の時の1年間住んだ下宿。

このいずれも大学の近くではなく、中心街であるアーケード街の近くに住んでいた。
住んだ家は今でも残っていた。
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この写真は、最初の2年間を暮らした下宿である。
4畳半一間と押入れのみの部屋だった。
流し共同、トイレ共同、風呂なし。
家賃は8000円だった。
高校生、大学生、社会人とさまざまな人が住んでいた。

山口駅前の便利なところにあったが、高校までは自転車なので駅前であるメリットは何もなかった。
大学生になるとバイクや自動車にかわったので、これまた駅前のメリットはなかった。
駅前に住む理由は何もなかったのだが、たまたまだった。
安かったからだ。

30年前に過ごした駅前の下宿が今でも残っていることが不思議でならない。
再開発の波さえ来なかったということであろう。
駅前だというのに土地の高度利用がなされないというこの事実に、愕然とするとともに地方都市の現実を感じた。
きっとこれから10年、いや20年、この下宿は残っていることだろう。

山口高等学校【山口その2】

僕は、山口という街で育った。
中学3年生から大学を5年かかって卒業するまでの9年間をこの街で暮らした。
青春をこの街で過ごしたといっていい。
今回父親の25回忌で帰省した際に、山口の街を歩いてきた。
自分が暮らした足跡をたどってきた。
街の中心街であるアーケード街は、地方都市によくあるように郊外に大きなショッピングモールができたこともあり地盤沈下している。
街を歩く人が非常に少ないのだ。
ふと道端に止めてあった自転車を見ると山口高校の通学用ステッカーが張ってあった。
このステッカーは、毎年色が違い張り替えるのだ。
このステッカーを見て、山口高校に行ってみたくなった。
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高校の正門にあるこのロゴは当時と同じだったかどうかは覚えていない。
少し字体が違うような気がするのだが、それこそ30年前の記憶は覚えていない。
ただ、校舎はまったく変わらない。
この日は雨の日曜日であったが、校庭ではラグビー部員が、雨の中だというのに練習に励んでいた。
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校舎の上にある天体望遠鏡が特徴であるが、授業で使ったことがない。
理科は、生物・地学・物理・化学とすべて必須の履修科目であったが、いずれの授業でも使わなかった。
ついでに言うと、いずれも�だけではなく�まで必須だったので勉強しているのだが、使わない。
誰がこの天体望遠鏡を使うのか、今もって謎ではある。
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校門を入るとすぐにある通称ホワイトハウスという記念堂ではブラスバンド部が練習していて外にまで音が響いていた。
普段部員以外が立ち寄るところではないが、文化祭では、生徒会長がオペラを歌ったりなかなか文化香る場所で思い出がある。

僕は、この高校に3年間通った。
最初から医者を目指す連中がほとんどで、ちょっと数学が好きだからというレベルの僕が行くようなクラスではなかった。
3年間クラス替えのない1クラスしかないところだったので、クラスで26番を超える成績を上げることができなかった。
そして20人ほどが医者になった。
医学部に行きたくない成績優秀者が、東京大学や九州大学などの工学部へ進んだ。
僕は勉強のできる生徒ではなかったが、今でもこの高校生活のことを忘れたことはない。
そして当時の仲の良い同級生が、この母校で数学の教員をしている。
ちょっと職員室を覗いてみたかったが、やめておいた。
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マラソン大会でワープしたこと。
そして罰マラソン。
大田校長の詩吟。
ロックを演奏した文化祭など、いつだって忘れたことがない。
楽しかった思い出、苦い思い出、甘酸っぱい思い出、思い出いっぱいの青春乱舞の高校生活であった。

思い出の江戸金ラーメン【山口その1】

江戸金。
僕にとって江戸金のラーメンは昔から今でも日本一のラーメンである。
出会ったのは、中学3年生のときだから15歳。
それから大学を卒業するまでの9年間、多いときは週に2度、少ないときは月に2度程度食べてきた。
大学を卒業してからの26年ほど、食べていない。
先日山口に帰省した際に、夢にまで見た江戸金を食べてきた。
店構えも場所さえも変わった。
以前は山口駅前にあったのだが、今ではアーケードの端に変わった。
経営者も変わり、場所も変わって新たにできた店だ。
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店構えはやはり大きく変わっていたのだが、赤いちょうちんだけは変わっていないような気がする。
店が近づくと、独特のにおいが周囲に漂ってきた。
におった瞬間に、江戸金だ!とわかった。
店を覗いてみるとカウンターばかりの店だが、随分と広い。
座席も増えており、にぎわっている。
何より私の前に5人もお客様が待っているのに驚いた。
以前の店で、待つなんてことはなかったし、そもそもこんなに賑わっていなかった。
客層だってまったく違う。
若い女性や子供なんていなかったし、カップル客なんていなかった。
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値段を見ると、だいぶ値上がりしていた。
並みは350円だった記憶があるが、もしかすると400円だったか、そのあたりは多少曖昧だが
530円とは驚きだ。
メニューもほとんど変わらない。
昔はおにぎりはあったが、ライスなんてなかった気もするがこのあたりの記憶も多少曖昧だ。
今回は、迷わずラーメン(大)630円を選択。
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待つことしばしででてきたのが、このラーメンだ。
濃厚なとんこつラーメン。
麺は太麺でストレート。
スープは、油断すると油膜が張るのだ。
このあたりは、26年前とまったく変わらない。
チャーシュー麺でもないラーメンで、こんなにチャーシューで覆われており、これも昔と変わらない。
ご覧のとおりのバラ肉を使っており、おいしいことこの上ない。

一口すすると味の記憶は、正しいものであったことを実感した。
26年経ってもまったく変わらない味を覚えていた。
夢にまで見た江戸金を僕は食べた。
僕にとって江戸金は15歳のときからこれ以上の味はないラーメンであり、どんなラーメンのおいしいお店でもこの味を越えたラーメンに出会ったことがないのだ。
僕にとってのラーメンは、江戸金で始まり江戸金で終わっている。
次に食べることができるのはいつだろう。

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